先日、久々に駒沢オリンピック公園に立ち寄ってきました。この公園のシンボルとも言える「中央広場」は、私たちの好きな空間のひとつで、「高い空間の質」を感じる屋外空間のひとつです。
この広場は、高山英華氏の基本構想を元に、かの芦原義信氏が設計したもので、敷石による広大な広場空間です。 隣接する大屋根の体育館は、高さを抑え、存在感を抑えようとしたかにも見えますが、どう見てもその力強い構造美は、空間に建築の「図」としての存在感を力強く与えています。但し、それは地形ともとれる「水平の秩序」です。 一方、広場の軸線上付近に位置する管制塔(上の写真)は、この水平に広がる空間に「垂直の秩序」を与えていて、それらが、広場の見事なスケールを介して、高い空間性を与えています。体育館・管制塔・広場ともに、都市的なスケールの存在感で、日常的で人間的なスケールをはるかに超えているので、そのことも「強い空間性」を感じる要因でしょう。 ※残念ながら現在改修工事中で、広場全体の写真が撮れませんでした。右下の写真は、改修工事中の広場の様子 この空虚ともいえる広場は、「空間の質」としてはとても充実していて、芦原氏はこの広場を「イタリア的とも言うべき外部空間」と述べていますが、私は日本的な神聖ともいえる空間の緊張感を感じてしまいます。俗に言う「間」(ま)というものでしょうか。。。 例えば、よく寺社の前庭に、白砂か砂利を敷き詰めただけの空虚で平らな場所が見られる事がありますが、これらは宗教的な神聖な空間でもあります。こうした空虚で平らな空間は、空虚であるがゆえに様々な自然の事象や、うつろいを内包する空間であって、逆に豊かな空間の充実を感じずにはいられません。あの龍安寺の石庭も、様々なものを削っていったマイナスの美でもあり、この中央広場には、そうした日本にかつてから見られる美の精神の一端を垣間見る気がするのです。 それだけに、そこに存在するモノたちは、そのディーテールやプロポーションが重要となるのですが、それでもやはり核は、この広場の「間」(ま)であって、それがまさにこの「空間の質」を決定付けている気がします。 私たちは「マイナスのデザイン」、つまり、「引き算の美」を日ごろから意識していますが、それらは「きめ細かなスケール感」と「間(ま)の感覚」をなくしては成り立たないことを、この空虚で豊かな広場は教えてくれます。そこには「何もない」のではなく「全てがある」という感覚は、日本人のDNAでもあるのかもしれません。
by lidesign
| 2009-01-18 18:43
| 都市・地域・デザイン
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